『自分で選ぶ』ということ

娘には、できるだけ自分で選ばせるようにしています。

日常の小さなことも、彼女が試練の場に立たされるかもしれない大事なことも。


『自分で選ぶ』、ということは、

その後に起こることを、自分の力で乗り切ると決めること。

私はそう思っています。



彼女の人生は、彼女自身で選んで進んで欲しい。

それは、自分の人生を誰のせいにもして欲しくないから。


そんなことを言っても、

まだ8歳の子にそこまで背負わせるのは無理です。

だから、まだ親が手を出せる時に、その経験をさせたいと思っています。


 

今日も、その選ぶタイミングがやってきました。


わが娘は極小未熟児で生まれ、視力が少し悪いです。

日本では公立の小学校に通い、アメリカでも地域の現地校に通っています。

見た目には普通に行動しているので、周りの人には目が悪いことはわかりません。

私も忘れてしまうほどです。

でも、本人は見えずらいことは変わりません。


以前学校で、体の大きい上級生にぶつかられて、眼鏡がゆがんでしまうことがありました。

そのことがあって、先生がいろいろ考えてくださいました。

目が悪いことを全校生徒に知らせ、みんなに気をつけてもらうほうがいいのではないか。

ただそれには、リスクもあります。

心無い生徒が、娘に何かを言うかもしれない、と先生が心配してくださいました。


この話を聞いた時、私の頭の中にもそれがパッと浮かびました。

いじめられたらどうしよう。。。


あえて全校生徒に、娘が目が悪いことを知らせなくたっていいんじゃないか、

と私は思いました。


一緒に先生の話を聞いていた夫は、

彼女の安全のために、知らせてもらったほうがいいと言います。


娘に聞いてみました。

娘は、「みんなに言って欲しい。そのほうが安心だから。」と言いました。


娘にとっては身の安全が何より大事なんです。

誰かに何かを言われても、それは彼女がどう受け取るか。

彼女自身の心のあり方で、どうにでも受け取れるのです。


もしも誰かに何かを言われても、乗り越える!

私はそのサポートをしていこう。


そう決めました。


自分のことではないから、とても心配です。

でも、もうやるしかないです。

逃げても、しょうがないですからね。


娘は自分で選ぶ、という体験をしました。

何かあっても、つらくても、乗り越えていきます。

この体験が、生きる力を育てると、私は信じています。